集団的自衛権について
国会質疑

集団的自衛権について

平成26年7月1日、政府は集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定しました。ここに至るまで、石破幹事長が険しく、苦しそうな表情でよく思案されていたことを思い出します。私自身もようやくこの日が迎えられたことを、心から嬉し […]

平成26年7月1日、政府は集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定しました。
ここに至るまで、石破幹事長が険しく、苦しそうな表情でよく思案されていたことを思い出します。
私自身もようやくこの日が迎えられたことを、心から嬉しく思うと同時に身の引き締まる思いです。
この閣議決定を受け、次期国会で集団的自衛権に関する法案が上程され、国会議員を交えた本格的な論戦が始まります。
街頭演説をしている時や、地域の会合で「集団的自衛権と個別的自衛権とは、いったい何が違うの?」言葉が複雑でわかりにくいとの質問を何度も頂きました。実はこの話、消防団に例えるとわかりやすい話になります。
我が家の火事しか絶対消さない!と決めるのが、個別的自衛権で家を守ることです。
地域で消防団を作って見回りをして、互いに火事にならないようにする、これが集団的自衛権です。
では、なぜ個別的自衛権では家が守りにくいかというと・・・
隣の家で火事が起こりました。我が家の火事しか消さない!と決めているので、この家は隣の家の消火活動には一切参加しません。ついに我が家に火が移って来たので、満を持して、消火するぞ!と頑張っても時すでに遅し・・・あっという間に我が家は炎に包まれてしまいました。個別的自衛権だけでは家を守るのはとても難しいのです。
「集団的自衛権を行使するのは、戦争をしたいからだろう」という論調がよく見受けられます。これは、消防団に対して「火事を起こしたいから、消防団を作ったのだろう」と言っているのと同じ論理になるのです。いかに的外れな論調であるか、これを機会に知っていただけたら幸いです。
また6月11日の党首討論で、安倍総理は次のように主張しました。「国民の平和を願って、命を守ることを願って作られた憲法が、国民の命を守る責任を果たさなくていいと言っているとは、私は思えないのです。」憲法の解釈を変更し、集団的自衛権を認め、国内法の整備をすることは、それ自体が強力な抑制力になるのです。逆にそれを怠れば、野心を抱く近隣諸国に付け入る隙を与えることになります。「あの時にやっておけばよかった」と後悔しないために、自民党と公明党は勇気を持って、新たな一歩を踏み出したのです。
軍備を整える以上に、法整備によって国を守ることは、日本の国を取り巻く環境が厳しくなりつつある今、非常に重要なことなのです。