硫黄島での視察
政治活動

硫黄島での視察

先日視察に行った硫黄島での報告を致します。まず当日は現地に向かう前に硫黄島からの生還者を写した映像を見ました。内容は衝撃的で、1か月以上に亘る凄惨を極めた「硫黄島の戦い」で日本軍約2万1千人のうち、実に95%以上の約2万 […]

先日視察に行った硫黄島での報告を致します。
まず当日は現地に向かう前に硫黄島からの生還者を写した映像を見ました。
内容は衝撃的で、1か月以上に亘る凄惨を極めた「硫黄島の戦い」で日本軍約2万1千人のうち、実に95%以上の約2万人が戦死するという悲惨な状況が克明に記録されていました。
そして実際の戦闘もさることながら、戦闘前の島での生活も非常に過酷だったようで「毎日の厳しい訓練と穴掘りが余りにも辛く、アメリカ軍の船が地平線を覆うように島に押し寄せてきた時には正直ホッとした。やっと、この苦しい日々から解放されると・・・」と生還者が言っておられたのが非常に印象に残っています。
その貴重な映像を拝見したのちに、入間基地から自衛隊のC-130H輸送機に乗り約3時間で硫黄島に到着しました。
多くのご遺骨が眠っている可能性がある滑走路に降り立った私は、飛行機を降りてすぐ地面に膝をつき手を合わせました。
そしてすぐに滑走路下の遺骨収集についての説明を受けました。レーダーを使って滑走路をくまなく調べ、反応があったのが101箇所。反応の全てがご遺骨かどうかはわかりませんが、26年度は30箇所、27年度は71箇所、すべて掘り起こして調査をするという説明を受けました。
その後、天山慰霊碑に献花、献水、拝礼をさせて頂き、遺骨収集を終えた壕、医務科壕に向かいました。
銃痕や火炎放射器で岩が焼けた跡が残った壕へ入ると、鍬などを使い、人の手によって掘られたのが見て取れる薄暗く狭い穴がずっと奥の方へと続いています。身を屈めて奥深くに入れば入るほど中は地熱でサウナのように蒸し暑くなり、息をするのも苦しいムッとする湿気に包まれ、汗が滝のように流れ落ちます。
私たちは照明により照らされた状態で壕に入ったので周りの様子が把握できますが、当時は電灯もないため殆どまわりが見えない真っ暗な状態で、重装備のまま這うようにして壕を行き来したのでしょう。
暑く閉ざされた暗闇の世界で、飲む水も殆どなく、いつ爆撃を受け埋まってしまうか分からない恐怖と常に戦いながら戦闘をする。
壕の中には想像を絶する地獄のような世界が広がっており私は言葉を失いました。雨水を溜める桶や、貴重品収納箱など、生活用品が隅々に散らばっており、70年前にここで過ごしていた方々の辛い苦しみが、そこにある品々を通して伝わって来るようで、思わず手を合わさずにはいられなくなりました。

現在の日本があるのは、先の大戦で犠牲になった先人たちのお陰です。その感謝の気持ちを込め、遺骨収集は積極的に取り組まなければいけません。
現在までに10,360柱(平成27年8月現在)収集が行われましたが、さらに力を注ぐための法整備を今国会で取り組んで参ります。