ポルトガル・中国を訪れて
政治活動

ポルトガル・中国を訪れて

大変報告が遅くなりましたが今年のGWは、日本を離れてポルトガルと中国の2か国を訪問しました。前半は党の副幹事長として谷垣禎一自民党幹事長の随行でポルトガルを訪問し「南蛮屏風下張り文書レプリカ贈呈式」に参加しました。南蛮屏 […]

大変報告が遅くなりましたが今年のGWは、日本を離れてポルトガルと中国の2か国を訪問しました。前半は党の副幹事長として谷垣禎一自民党幹事長の随行でポルトガルを訪問し「南蛮屏風下張り文書レプリカ贈呈式」に参加しました。南蛮屏風とは、16世紀末から17世紀半ばごろに、キリスト教布教の様子を日本の絵師が描いたもので、宣教師により日本からポルトガルに渡ったものです。昨年5月の安倍晋三首相のポルトガル訪問を機に、「南蛮屏風下張り文書修復プ ロジェクト」が発足、今回は屏風の中から発見された戦国時代の手紙のレプリカをポルトガルの図書館に贈呈をしました。ポルトガルの図書館には、戦国時代の日本の地図も大切に保管されてあり、大阪が摂津と表記されてあるのを見て、私の地元の大阪府摂津市を思い浮かべ妙に嬉しくなりました。そしてこのような資料が遥か遠くのポルトガルの地に保存されていたことにいにしえのロマンを感じました。

GWの後半は平成研究会(額賀 福志郎会長)の視察団と合流して中国へ向かいました。中国は歴史も含めてとにかくスケールが大きく圧巻という印象でしたが、中国の凄さと同時に危うさを感じたのも事実でした。

最初に訪れたのは成都です。以前は沿岸部だけが発展しているイメージでしたが、内陸部の成都の繁栄ぶりには眼を見張るものがありました。煌びやか過ぎて色の主張ばかりが前面に立ったビルのネオンには閉口しましたが、成都が今や中国一成長率が高いのも頷け、町全体が活気に溢れていました。

また、四川大震災被災地の復興状況を視察に行ったのですが、すでに住宅は見事に再興されていました。きっと中国共産党一党独裁のいい意味での強引さがあったればこそ、ここまで早く復興できたのでしょう。このようなハード面の復興事業だけに限れば、民主主義においては当たり前の民意の合意を取り付けるという行為そのものが、復興の弊害になる事もあるのかもしれないのだと感じました。
しかし、その一方でやはり!と思ったのは、私たちが会う全ての住民が口を揃えて『政府のお陰で、震災前より幸福度が上がった』と一生懸命に訴えていた点です。奇妙な程に皆が同じことを言います。さらに、私たちが豪華過ぎる復興住宅を視察すると、地元のテレビ局がその様子をべったりと付いて取材してまわるのです。何だか中国政府のプロパガンダの一環にされたような感じがして複雑な気持ちになりました。ある意味、さすが中国です。

次に移動した天津は凄まじい建設ラッシュで、見渡す限りヨーロッパ調のオシャレな建物が建築中でした。ところが街には何か不思議な違和感が漂っているのです。暫くして街の異様な雰囲気の原因は、そこで生活しているはずの市民が見当たらないのが理由だと気づきました。・・・本当に異様な光景です。このような様子を見ていると、近い将来世界に飛び火するであろう中国発経済危機の足音が聞こえてきたような気がしました。

ボルトガルと中国、あまりにも異なる2国を訪問して、やっぱり日本が最高!より良い国創りに、これからも頑張ろう!と改めて決意しました。